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今年1年お世話になりました。

【2013年12月31日】
いろいろと新しい試みをさせていただいた1年でした。
前年から始まった本の執筆も無事終わり、
小劇場系の劇評の勉強会で得た人脈、
そして最後に歌舞伎の講座の講師というお仕事。
来年も、自分にリミッターをつけずに
前進していこうと思います。

どうぞよいお年をお迎えください。

今年一年をふり返ってのコメントは
後ほど「ガムザッティの感動おすそわけブログ」のほうににアップします。
よもやま | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/12/31 23:31

特定秘密保護法案に反対します

「これってどういうこと?」
「詳しいことが知りたい」
「私はこう思う」
という
今、当たりまえに表明できることが、
この法律ができると
全部「つかまる」につながります。

何か明確に国益に反したという証拠が明らかにされなくても、
「そうしようとした」というだけで逮捕することができ、
刑事罰を科することができる。
それが

特定秘密保護法です。

なぜって「未遂」も刑事罰なんです。

そして
「どうしてこれで罪になるの?」という問いに対して、
明確な答えは出ません。

だって、「秘密」だから。

何が「秘密」なのか、「秘密」だから。

「特別秘密」というものを指定できるのは政府で、
それが「なぜ」特別秘密で、
「何が」特別秘密か、明らかにしない。

だって「秘密」だから。

これが、
民主主義の国の法律でしょうか。

「知る権利」なし、
「思想の自由」なし、
「表現の自由」なし。


これが通ったら、
憲法違反だと私は思います。

私は、物書きとして、
この法律が通ったら安心してものを書くことなどできなくなると思うんです。

だってつかまらないようにするためにはどうすればいいか考えたら、
前に誰かが言ったことしか言えなくなるっていうことでしょう?
自分が考え、
自分なりの視点で
自分なりの表現方法で
新しいところを開拓していくことは
それだけで「危険」を伴うということになります。

そんな社会は、どんどん疲弊していくに決まっている。
オリジナリティや
斬新な視点
ものの見方の多様性が否定される、
少なくとも
そこを目指すことがものすごい「リスク」を伴うことになる。

私たちは「主権者」です。

「主権者」として、
今、ものを言わずして、いつ言うのか。

政府のやり方について
「それっておかしい。
もっと情報開示して、ちゃんと説明してよ」
って言えるのは、
今しかない。

なぜなら、
この法案が通ったら、できなくなるかもしれないからです。

ということで、
ぜひ、パブリックコメントを寄せてください。
意見提出にあたって、名前を書く必要はありません。
(そういう欄はありますが、任意ですので書く必要はありません)

「私は反対です」だけでもいいですから。

パブリックコメントの入り口はこちら

日弁連などの、この法律案に対しての考え方はこちら

参考になるのは、こちら
よもやま | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/09/15 10:22

震災から丸2年

2013年3月11日

黙祷。

そして、合掌。
よもやま | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/03/11 16:25

2009年という分水嶺

2013年2月12日

この連休に、机まわりの整理を少ししました。
数年前の記録ノートの最初のページに
3年後=2012年の自分について
「だてな〇歳にはなっていないぞ」と大胆宣言している。

そんな自分にけっこうびっくりしている私だが、
この2009年というのは、
自分のキャリアにとってかなり重要な年だったことに気づく。

2008年に、お世話になっていた雑誌が軒並み休刊になり、
それまでやっていた医療系のお仕事と、
必然的に縁遠くなるきっかけとなった。
そして、
友人が引き合わせてくれたエンタメ系の編集者との仕事が始まる。

よくよく見ると、
2009年以前と志向そのものは前後に変わりはない。
それまでも、
細々ながらエンタメ系の仕事を受けているし、
観劇も今以上に力を入れている。

当時はエンタメ系のキャリアをつくるために、
このジャンルで書かせてくれるのならどんな仕事でも、と
ご縁があればやらせてもらうようにしていた。

けれど、
同じエンタメ系でもソリの合わなかった編集者もいたわけで、
中にはそこからのお仕事を意識的に遠ざけたものもあった。

「だてな〇歳」になっていないぞ、と思った自分の
「だてな〇歳」って、何だったんだろう。
思い出せないな。

なんか、思うところあったんだろうか。
自分のテイストがちゃんと評価されてないっていう苛立ちかな。
いや、
「なんでも屋」になってしまいそうな自分への
苛立ちだったような気がする。

2009年の私へ。

レギュラー失っても、
ここぞとばかりにガンガン観劇とか勉強会を入れて、
自分らしさ確立にお金をつぎ込んだ自分に
心から拍手を送ります。

そして、
また3年後くらいを見据えて
「だてな〇歳にはならないぞ!」と
大きな山に向かって、
そのふもとに立って吼えてみせるぞ、と思う。

一歩一歩だな、人生は。
1ミリでも前のめりなら、道は開ける。
よもやま | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/02/12 08:35

市川團十郎の死の大きさ

2012年2月6日

2月3日に、市川團十郎丈が亡くなった。
市川宗家にとって、節分に成田山で豆まきをするのは恒例で、
その日が彼の命日になるとは、何とも運命的である。

勘三郎、團十郎と立て続けに二人の大切な人を亡くしてしまったが、
勘三郎の死が
「歌舞伎の未来」の喪失を予感させる嘆きを生じさせたとするならば、
團十郎の死には
「歌舞伎のいま」の瓦解をひたひたと感じさせるような
そんなうすら寒さを覚えるのである。

勘三郎は、芸と自分を行き来する人だった。
團十郎は、組織の真ん中にいた人だった。
その違いが、
松竹の株価にまで影響を及ぼしたのだと思う。

誰にでも公平な人だったという。
公平すぎて「嫉妬を覚えるときもあった」と海老蔵は言う。
香川照之に対して
「私が後見になりましょう」と言って猿翁に安堵を与えた人だ。
市川宗家を継ぐ者でありながら、
19歳で親を亡くし、苦労した人らしい優しさがあった。

人にわかりやすく説明するのがうまく、
またそういうことを楽しそうにする人だったともいう。
科学が好きで、宇宙が好きで、家には望遠鏡があって、
歌舞伎のことも、自分のことも、病気のことも、世界のことも、
大きな視点から俯瞰するだけの度量を持っていた。


「歌舞伎の荒事(あらごと)」とは「江戸庶民の厄を祓う儀式」であり
「市川團十郎」とは「江戸の守り神」であり、
自分はいつもそういう気概をもって舞台に立っているとおっしゃっていた。

スーツ姿でいても、眼力に圧倒される人だった。

「白血病を克服して舞台に復帰」などと
たった1行で語ってしまいがちだが、
彼の本を読めば、
何をもって「無間地獄」と表したのかを思い知る。

これからは、本当に神様になって
江戸の私たちを、新しい歌舞伎座を、
天から見守ってくださるはずだと
そんな厚かましい確信が私にはある。

鋭くて、温かいあの目の記憶が、そう思わせるのである。



彼の訃報を聞いた直後の率直な感想は、もう一つのブログのほうに書きました。

彼の書いた闘病記「團十郎復活」についてはこちら
よもやま | コメント(0) | トラックバック(0) | 2013/02/08 10:52
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